ゆ〜こすの徒然なるままに

アドラー心理学、教育、健康、時々猫…を綴っていきます

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寂しさと虚しさと無力感と

この感情は?


先日の満月の夜

寂しさ、虚しさ、無力感を抱えて

トボトボと歩いていました


というのもここのところ

深くお付き合いしていた学びの仲間が

一人、またひとりとグループから去っていき

うまく名前のつけられない陰性感情に見舞われていたのでした

まさに「同じ釜の飯を食う」仲間たち

去っていったのは、相手の個人的な理由で

私との関係性とは別のものなのに…

 


では、何故?

寂しい?悲しい?虚しい?


思考では、「相手の領域の問題」と、理解している…のになんでざわつくの?


ここを自分で掘り下げてみました


私の場合、朝ベランダに出て

スムージーを飲んだり、余裕ある時は

瞑想したりするのですが、

ベランダで椅子に座って朝の空気を吸いながら考え?というか、浮かんでくるものを待ちました

 


そこで見えてきたものはこんな事でした

 

〜みんなが離れてく事で感じること〜

①結局わかってもらえない、寄り添ってもらえない

②自分が居場所だと思ってた人たちがいなくなって不安

③人が離れていく事により無力感、無価値感を感じる

 

ココロが感じるままに、
浮かんできた言葉を捉えると主に3つだった

客観的に観ると、相手の領域の意思決定を勝手に自分に紐付けしてるのがわかる

①、②はあくまで自分中心の考えに寄った時、少なからずそう思ってるフシがあるなぁって自覚アリ

問題なのは③


私から人が離れていく

「なぜならば」

そう、そこで私の頭に浮かんできたものは、

 


私から人が離れていく

なぜならば

なぜならば

なぜならば

 


私には価値がないから


こんな言葉が出てきた…


私は普段は顕在的には(思考のレベル)

自分の事を「価値がない」なんて思ってない

むしろ、自分を生かし、世の中の役に立ててるという思いもある


しかし、私の中には

「価値がない」という密かな設定がされていた…

例えば携帯で

いろんな機能があるけれど

初期の設定で制限がかかり、

そのことに気がつかず

一部の機能しか使えない…そんな感じ


実はこの「価値がない」は

過去にも度も浮上してきたことのある考え

何度も手放しを試みてきた

「またここか」と苦笑い


解決したわけではないけれど、

客観視できると違うという事を知っています


自分の内側を客観的に見れる

それだけでも成長だな、と思えたのでした…